浅子さん(仮名)との出会い
私と浅子さんとの出会いは施設と併設しているデイサービスセンター利用の事前面接でした。
事前面談は、相談員と看護師とでご利用者様のご家庭に訪問し、利用者やご家族の希望をお伺いしたうえで、身体状況、生活環境、病歴の他、送迎車両の駐車場所などを確認してきます。
事前面接日にデイサービスの看護師が病欠したということで、急遽ピンチヒッターで事前面接に同行することになったのです。
当時の浅子さんは明治生まれの92歳。
第一印象は、元教員ということもあってなのか、金縁の眼鏡をかけられ、リビングで車いすに腰かけられている姿はとても凛としておられました。
ただ、脳梗塞による右片麻痺、言語障害があり、うまく言葉にできないのをもどかしく感じているようでした。
普段生活しているお部屋は、玄関から一番奥の部屋の薄暗い場所で、ベッドがポツンと置かれ、ベッドサイドにはポータブルトイレが置いてありました。
病院を転々とし、療養型の病院からも退院を迫られ、最終的に長女宅に引き取られました。
県外からの転居だったので、福祉サービスの調整も上手くいかず、退院後は一日中このお部屋で過ごしておられたようです。
娘さんのお話を伺うと、浅子さんは、地元の女学校を卒業したのち、教員として勤務しつつ結婚、そして二人の娘さんを育てあげました。
当時の女性が仕事を持ち子育てすることがどれだけ大変だったのか想像がつきませんが、この点を考えても浅子さんの芯の強さが伺えます。
娘さんは、子供のころを思い出し、母親は厳格で、何事にも妥協を許さないような母だったといいます。
浅子さんは定年後夫と二人暮らしでしたが、夫が病死した後は、趣味の短歌や俳句を詠んだりしながらのんびりと老後を楽しんでいたようです。
そんな生活の中、突然の脳梗塞で救急搬送され入院、その後、病院を転々としながら、最終的には娘さんが引き取ることになりました。しかし、娘さんのご主人様は、浅子さんの同居を快く思っておりません。
排せつ物の臭いがする、一緒にご飯は食べたくない、おふろは最後に入れろetc・・・何かにつけて、浅子さんのことで娘さんに強く当たり散らします。そんな状況に浅子さんも心を痛めていました。
デイサービス面談も終わり、週3回のデイサービスがスタートしました。久しぶりの外出、ゆったりと入れる入浴、浅子さんが一番頑張りたかったリハビリ、職員との会話・・・回数を重ねるごとに表情が明るくなっていきました。
私も、事前面談に同行したことで、浅子さんのことが気になって、時々デイサービスに面会に行っては会話を楽しんでいました。
数か月経過した頃、浅子さんから、特別養護老人ホームに入所するにはどうしたら良いのかと相談を受けました。
入所は、本人の意思であり、娘さんには相談していないが、娘が私と夫の間で板挟みになって苦しんでいるのは見たくないし、私のことより娘夫婦の幸せな生活を一番に考えてあげたいと・・・。
一度、娘さんも含めた中で、相談しましょうとお返事し、娘さんに電話で浅子さんの入所の意思を伝えました。
電話の向こうで娘さんのすすり泣く声が聞こえました。
娘の幸せを一番に願い、特別養護老人ホームに入所したいと自ら決めて入所してきたのは浅子さんが初めてでした。
半年後、浅子さんは、私との特別養護老人ホームライフがスタートしました。
浅子さん、94歳の夏でした。