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特養入所事例 障害のある叔父、叔母は誰が面倒をみるのか①

障害のある叔父、叔母は誰が面倒をみるのか① えっちゃんのブログ
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知的障害施設から特別養護老人ホームへ

私がミナホさん(仮名)と最初にあったのは知的障害施設の面談室であった。
面談室前の廊下で待っていると何人もの人たちが通り過ぎ、私に元気よく挨拶をしてくれ、遠い昔、看護学生だった頃に、実習で行った知的障害施設とは違い、かなり開放感のあり、病院とや老人ホームとは違った雰囲気だと感じました。
しばらくすると、事務長に連れられてきた可愛い感じの小柄な女性が近づいて来ました。

ミナホさんは65歳。療育手帳B1所持者(自治体で認定基準が異なるので注意されたい)
子供の頃は、両親と10歳上の兄に可愛がられて生活してきました。

知的障害があり、文盲のため学校には通わず、家で両親の手伝い(農家)をしながら生活してきたと言います。

農家を手伝う娘

ミナホさんが16歳の頃、兄が結婚することになりお嫁さん(聡子さん:仮名)が同居を始めました。
聡子さんは、ミナホさんが、障害者手帳もなく、手当も支給されていないことに驚きます。

聡子さんは、ミナホさんを連れて、福祉事務所や病院を回りながら、やっと療育手帳の取得に成功します。
ミナホさんには障害年金が支給されるようになりました。

やがて、兄夫婦に子供が出来て、聡子さんはミナホさんを知的障害施設に入所させることを考え申し込みをします。
両親と兄は大反対しますが、ミナホさんの老後の世話は私達ではできないし、子供たちに叔母の世話まで押し付けるわけにはいかないと言い張り、ミナホさんの生活の場は、知的障害施設へと変わりました。

知的障害施設では午前、午後と個々の能力に合わせた軽作業をします。
文盲で単語しか話せないミナホさんですが、洗濯物を畳んだり、簡単な作業は職員の見守りがあればできたと言います。

休日は、兄の送迎で帰省し、家族との時間を楽しみました。しかし、両親の死後は、年々、帰省の機会が少なくなり、兄(70歳で病死)の死後は、年末年始だけになったと言います。

施設の生活費は障害年金(月額10万円程度)で賄われ、非課税なので、施設に支払うお金は4万円程度。残りは貯蓄(施設管理)していました。

施設で管理されていたミナホさんの通帳には1,000万円以上もたまっていたと言います。
施設では、年に一度、旅行を計画していて、ミナホさんも参加させたくて、家族に文書を送るも、旅行の参加を同意してくれることはなかったと言います。

義理の妹を食い物にする義理の姉

65歳も近づいたとき、施設を出て、特別養護老人ホームへ入所の話が上がりました。
ミナホさんの意向など聞く余地もありません。

そして、ミナホさんの特別養護老人ホームでの生活がスタートしました。

年末年始の帰省も全くなくなりましたが、特別養護老人ホームで行う一泊旅行や行事には積極的に参加させるようにしました。

特別養護老人ホームへ入所中に義姉である聡子さんが亡くなられ、身元引受人は甥となりました。
その甥の面会も殆どありませんが、現在も同じ特別養護老人ホームで幸せに生活されています。

叔父や叔母に家族がなかったり、兄弟が障害者の場合など、老後は誰が世話をしてくれるのか、誰が身元引受人になるのかなど多くの課題があります。

孤独死や自死の報道も多くある中で、誰もが幸せな老後を過ごして欲しいと願っています。

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