岩田茂夫さん(68歳:仮名)は、認知症と診断されて、特別養護老人ホームへ入所してきたひとりです。
何度も徘徊しているところを警察に保護され、ショートステイの利用を経て入所に至りました。
十年前、自転車で走行中に交通事故に遭い、頭部挫傷、鎖骨骨折により二か月入院していました。
その後、一か月間自宅療養し、社会復帰したものの、会社から解雇を通達されました。
解雇になった茂夫さんは、自宅に引きこもるようになりました。
茂夫さんは一人息子の正美さん(仮名)と二人暮らし。
茂夫さんの妻である聡美さん(仮名)、茂夫さんが交通事故に遭った二年後に乳癌で亡くなられました。
茂夫さんの仕事が解雇になり、茂夫さんを支えながら、スーパーのパートとして働き、家計を支えたと言います。
聡美さんの死後、息子さんである正美さんが、茂夫さんの世話と家事を担うことになりましたが、正美さんの仕事は夜勤もある3交代の工場勤務です。
昼間に自宅に居ることもありますが、仮眠することもあり、四六時中見守っていることは出来ません。
また、家事の殆どを母である聡美さんが担っていましたから、聡美さんの死後、家事と茂夫さんの介護が加わり、精神的に参っていたと言います。
正美さんは茂夫さんを怒鳴りつけることが多くなり、その度に茂夫さんは家を出て行くものの夕方には自ら帰宅したと言います。
ショートステイ利用中の茂夫さんは、施設内を徘徊していましたが、殆ど言葉を発することはなく、介護職員の指示にもおとなしく従う優等生でした。
私は茂夫さんに「イエス」「ノー」で答えられるような質問を幾つかしてみました。
茂夫さんは私の話す内容をすべて理解しているようでした。
茂夫さんは軽い認知症はあるものの、文字が理解でき、名前を書くことも出来たのです。
最も注意すべきなのは、言葉の出にくい人を無神経に叱ったり注意したりする行為です。
うまく話せないストレスは本人が一番感じているのですから、注意されたことで心に壁を作り、人との交流を減らし、そこからうつ症状や認知症を招く場合もあります。見守る側の私たちとしては心得ておくべきことでしょう。
茂夫さんの様に交通事故により脳に損傷を受けた被害者が、治療後、外見上は回復しているのに事故前と比べて人格や性格に変化があったり記憶保持等に問題が生じ、就労が困難になったり日常生活でもトラブルになることがあります。
脳梗塞や事故によって脳の特定の部位に破損が生じると、言語機能に障害が出ることがあります。
話すことが難しくなる脳の後遺症である「失語症」と「構音障害」。
話すための筋力が低下する構音障害は、脳梗塞や事故によって運動機能に影響を受けた時にあらわれます。
失語症とは、大脳の言語をつかさどる領域が損失を受けて、ことばをうまく扱うことができなくなる症状です。
構音障害とは、脳幹または脳幹につながる神経線維が損傷を受けて、その結果として、唇や舌などに麻痺が出て、言葉をうまく発音できなくなる症状です。
構音障害は、発声がうまくできないのは機能性の問題のため、耳で聞いて理解する能力・目を読んで理解する能力に問題はありません。ですので、利き手に麻痺が出ていない限りは、運動障害性構音障害で言葉が発することができなくても、筆談でコミュニケーションを取ることは可能なのです。
失語症は、「聞いて理解する」「話す」「読む」「書く」といった言語にまつわる4機能のいずれか、またはすべてに障害を受けています。
その障害の程度は、脳の損傷の程度によって差があります。
簡単に言うと、声の大きさや話すリズム、声を出すときの様子から身体機能判断をするのが構音障害、「挨拶できるか」「とっさに言った言葉を復唱できるか」という理解度をチェックするのが失語症です。
また、日常会話の最中にいきなり「あれ、これ何だっけ?」と言葉が出づらそうにしている人はいませんか? 「ひょっとしたら認知症の前兆?」と、内心疑ってしまいますが、こういった言葉が出ないケースは、認知症ではなく失語症の場合があります。
失語症と認知症はよく混同されがちですが、症状は明確に違います。 認知症は、新しい事が記憶できず、見当識(いつ、どこで、誰が、などの状況把握)が分かりにくくなる認知機能の障害です。
失語症の人と適切なコミュニケーションを取る際は、以下の3点に留意するとよいでしょう。
(1)「はい・いいえ」で返答しやすいように聞き方を工夫する
(2)言葉の言い間違いを察する
(3)普段の習慣や好みをよく知っておき、間違ったと思ったら確認してみる
脳卒中発作のあと「話すことができない」「ろれつが回らない」など、言語障害が起こることがあるのは、よく知られています。
しかし、ひとくちに言語障害といっても一様ではありません。患者さんの家族や周りの人が、患者さんの障害がどんなタイプで、障害の程度はどれほどかをよく知って接することが大切です。言語障害は同じものだと誤解している人が多く、患者さんが苦しい思いをしている場合が少なくないのです。
脳卒中による言語障害の代表的なものに「失語症」と「運動障害性構音障害」があります。
「失語症」とは
脳梗塞や脳出血など脳卒中や、けがなどによって、「言語領域」(大抵の人は左脳)が傷ついたため、言葉がうまく使えなくなる状態をいいます。
つまり、失語症になると、「話す」ことだけでなく、「聞く」「読む」「書く」ことも難しくなるのです。
しかし、脳(左脳)の傷ついた場所の違いによって、「聞く」「話す」「読む」「書く」の障害の重なり方や程度は異なり、聞いて理解する能力、話す能力、読んで理解する能力、書く能力が障害を受けます。
「運動障害性構音障害」とは
言葉を話すのに必要な唇、舌、声帯など発声・発語器官のまひや、運動の調節障害(失調)によって発声や発音がうまくできなくなる状態をいいます。
運動障害性構音障害は「話す」ことだけの障害で、その点が失語症とは異なります。つまり、「話す」のが困難でも、代わりに「書く」ことでコミュニケーションを図ることができます。
失語症、構音障害、認知症とも言語障害の仲間ではありますが、それぞれは全く異なる障害です。
しかし、場合によっては同時に出現する場合もあります。
「あの人は失語症なので、構音障害ではない」「失語症と診断されたので、認知症はないはず」と言い切れない場合もあります。
多発性脳梗塞のように再発を起こすような人や、高年齢の人には合併することが多くみられます。
ご参考までに・・・
失語症と認知症の見極め方
認知症の特徴 | 知的の障害を持った人 |
記憶障害のある人 | |
夜、徘徊したり異常行動のある人 | |
「お金を取られた」など妄想・幻想のある人 | |
失語症の代表的な特徴 | 言葉が上手くしゃべれない人 |
言葉を聴いて理解が悪い人 | |
新聞や本など文字が上手く読めない人 | |
手紙や日記など上手く書けない人 |
失語症と認知症の違い
失語症 | 認知症 | |
言語 | 障害 | 障害 |
記憶 | 正常 | 障害 |
見当識 | 正常 | 障害 |
異常行動 | 正常 | 障害 |
人格障害 | 正常 | 障害 |
失語症と構音障害の違い
失語症 | 構音障害 | |
話す | 障害 | 障害 |
聴く | 障害 | 正常 |
読む | 障害 | 正常 |
書く | 障害 | 正常 |
最後に失語症の患者さんに接するときに、家族や周囲の人が心掛けておきたいポイントをまとめてみます。
①話しかけるときは、ゆっくりとわかりやすい言葉遣いで話しかけましょう。
②話しかけるときには、やさしい漢字や絵、図などを書いたり、ジェスチャーや実物などを示したりすると、理解されやすいでしょう。
③言葉が出にくいときは、「はい」「いいえ」で答えられるよう質問を工夫しましょう。
患者さんの言いたいことを推測して、考えられる答えを書いて示すことも有効です。
④言葉が出ないときは、せかさないで少し待ってあげます。
ただし、待ち過ぎると、かえって患者さんのストレスになります。適当なところで、「~のことですか?」などと助け船をだしてあげましょう。
⑤患者さんの言い間違いを、とがめたり、笑ったり、何度も言い直しをさせたりすることは避けてください。
⑥失語症の患者さんは、五十音表で、うまく言葉がつづれないことが多いので、使わないでおきましょう。
高齢社会が進み、日本の脳卒中患者は170万人を超え、助かったものの失語症に悩む高齢者が増えています。しかし、失語症には偏見と誤解が多く、家庭や社会で患者さんの言葉のリハビリが必ずしもうまくいっているとはいえません。
このブログが、患者さんや家族、周囲の方だけでなく、広く社会に、脳卒中による言語障害についての理解が深まるきっかけになるのを願っています。