山田正輝さん(仮名:68歳 ショートステイ利用者)の居室からドドン!と大きな物音がして、職員が物音の方へ向かうと、山田さんの居室から介護職員の佐藤美紀さん(仮名)が飛び出してきました。
居室の中では、ベットサイドに山田さんが横たわっていました。
職員は山田さんを抱き起すと、全身状態を確認し、ベッドに寝かせました。
山田さんの左の頬は赤くなり、床に倒れた時に頭部を打ったようですが、大事には至りませんでした。
美紀さんは、職員の休憩室に籠って泣いていました。
介護主任が美紀さんから事情を聴きました。
「私・・・辞めます。」美紀さんの開口一番の言葉でした。
美紀さんは、短期大学を卒業し、専攻科に進学、介護福祉士と保育士の資格を持つ入職2年目の職員です。
保育士の資格を取得したものの、元々お年寄りが大好きだから・・・と入職してきた職員でした。
お年寄りにも優しく接し、利用者からも好かれていました。
事故が発生したのは朝食後のトイレ誘導時のことです。
朝食後、山田さんをトイレに誘導し、排泄を終えた山田さんをベッドに移そうと抱きかかえた時、山田さんが美紀さんに抱きついたまま離れなかったと言います。
さらに、美紀さんの首筋に唇を押し付けてきたと言います。
過去にも同じようなことがあり、我慢が出来なくなって押し倒してしまったと言います。
美紀さんは、山田さんを倒してしまったことを反省し、その責任を取って辞めると言います。
でも、こうも言いました。
「利用者なら職員に何をしても良いのでしょうか?山田さんは、おしりを触ったり、胸を触ったり、職員にやりたい放題です!職員は利用者からのセクシャルハラスメントまがいの行為や暴力には耐えなくてはいけないのでしょうか?」
介護施設の職員は多かれ少なかれ、利用者からのセクシャルハラスメントや暴力・暴言を受けた経験があると思います。
私自身も、入浴介助の時に股間に手を当てられたり、背後から抱き付かれて胸を触られたり、卑猥な言葉を投げかけたりと切りがなく、利用者から物を投げつけたりしたこともあります。
利用者への虐待は当然許されることではありませんが、こうした利用者への虐待は厳しく糾弾される一方で、実は日常的に行われている利用者から介護職員へのパワーハラスメントやセクシャルハラスメントはほとんど話題なりません。
当然、サービスを提供する側としては、利用者に対して力ずくで制止したり懲罰を与えたりするようなことはできません。安易に注意できない事業者側の立場を逆手に取り、利用者の暴力・暴言はますますエスカレートしていきます。
今回の事故があり、施設内でアンケートを取ったところ、暴力・暴言を「利用者やその家族から受けた」と回答した人は48.2%と、約5割にのぼる数字になりました。
暴力・暴言の具体的な内容としては、「罵声・叱責を浴びせられた」が80.5%、「殴られた・蹴られた・噛まれた」が41.8%もありました。
特に、男性の認知症の方は、体力十分で、力の加減ができない高齢者の暴力は、「仕事だから」で耐えられる範疇を超えています。
志が高く、使命感が強い介護職の方ほど、「未熟な自分に問題がある」「我慢すれば良い」等と考えてしまいがちです。
利用者への虐待と同じく、介護職員への暴力・暴言が軽視されている現状こそが問題だと考えます。
多くの被害者である介護職員は、上司や施設長に相談して解決策を講じるよう働きかけてはみるものの、「少し我慢すればすぐに止める」「いかなる嫌がらせもあしらってこそ介護のプロ」といったその場しのぎの返答しかもらえず、問題が放置されたまま心身ともに疲れきってしまう介護職員もいると言います。
このような状態から介護職員が退職に追い込まれて行くことだけは避けたいものです。
家族はお金を払っている立場ゆえ、「客なんだからこちらの言うことは聞いてくれて当たり前」という考え方の人もいます。
確かに利用者側はサービス内容などについて質問したり意見を述べたりする権利はありますが、介護現場は慢性的に人手不足で、一人の入居者だけにサービスを集中させることはできません。
基本的に介護サービスは、各利用者に対して介護保険の適用範囲内でおこなわれるもので、それを超越するような要求は施設側にも拒否する権利はあります。
今回の事故については、山田さんのご家族には事実を伝え、山田さんの対応は男性職員が担うことにしました。
美紀さんが山田さんを押し倒したことは許せないことではありますが、介護職員をパラハラやセクシャルハラスメントから守るために施設としてどうすべきかを考える良い機会となりました。