40歳代のご夫妻が在宅介護支援センターのドアを叩いたのが年末の御用納めの日だった。
御用納めとあって、職員全員で大掃除の真っ最中・・・相談したい事があるのですがと悲壮な表情で窓の向こう側に立っていた。
面談室に通し、話を伺おうとすると、純子さんが突然泣き出し始めたのである。
家族構成
父 服部新市さん(仮名:75歳 糖尿病・軽度認知症)
母 服部きよさん(仮名:72歳 アルツハイマー性認知症)
相談者 服部英伸さん(仮名:48歳 会社員)
相談者妻 服部純子さん(仮名:45歳 主婦)
相談者長男 服部啓太さん(仮名:20歳 大学生)
相談者長女 服部真理さん(仮名:17歳 高校生)
相談者夫妻は、10年前、父親の定年に合わせて、新興住宅地に家を建て両親と子供達の6人での生活がスタートした。
新市さん、きよさん夫婦には英伸さんの他に県外に嫁いだ姉がおり、子供を連れては頻回に両親の家を訪問していたようだった。また、英伸さん夫婦と同居後も頻回に両親を訪ねては、両親を旅行に連れて行ったりして、とても両親を大切にしていたようだったという。後に分かったことではあるが、その費用のすべてを義父母が支払っており、その度に孫たちにもお小遣いを渡していたようだったという。
純子さんは、住宅ローンや子供たちの教育費のこともあり、パート職員として働くようになっていた。
転居後2年くらい経ったころ、義母きよさんが物忘れがひどくなり、家事が出来なくなってきたのを夫に相談したが、歳を重ねればみんなそうなっていくものだと理解してもらえず、数年が経過した。
その頃には義母の物忘れもひどくなり、純子さんを泥棒扱いする等の行動障害も出現した。
やっと英伸さんんも重い腰を上げ、精神科を受診させ、検査の結果アルツハイマー性認知症と診断された。
内服治療が開始されたが、あまり変化もなく、徘徊し住宅地を歩き回るようになった。
ドアというドアに鍵を掛けてもちょっと目を離したすきに家を出て行ってしまうようになっていたのだ。
純子さんは、きよさんの後を付け、徘徊に付き合うなど認知症と向き合った。
その後も失禁や異食等の症状がみられるようになり、義母の介護のためにパートの仕事も辞め、週3回のデイサービスをスタートさせるも、夫である英伸さんは仕事を理由に義母の認知症介護は純子さんに任せっぱなし。
家にいるときは一時も目を離せない状況になってきた。
大学生の息子はそんなきよさんを嫌い、友人の家を転々とし、家に帰らないようになっていた。
きよさんの徘徊は住宅街の中でも有名になっており、思春期の娘には受け入れがたいものだったのか、家に帰ると部屋に閉じこもるようになり、祖父母とのかかわりを拒絶したのである。
姉親子も、きよさんの認知症の行動障害が進行するにつれ、まったく来ないようになっていた。
純子さんは、夫に相談し、姉の協力を求めたが、あれだけ頻回に訪問していた姉はからは、「私も行ってはあげたいんだけど、忙しくなってきたからねぇ~・・・」とやんわり断られた。
ある晩、事件が発生した。
義父が、純子さんの浴室を覗いていたのだ。最初のころは、脱衣室で気配を感じるだけだったのが、その日は、浴室の扉を少し開けてのぞき込んでいたのだ。
純子さんは、限界を感じた瞬間だった。離婚してほしいと夫に今までの思いをぶつけた。
緊急ではあったが、新市さんときよさんをショートステイで預かることにし、年末年始を家族4人で過ごし、介護から解放させることとした。
その後、きよさんは老人ホームへ入所し、新市さんはグループホームへ入所した。
後から分かったことだが、新市さん、きよさんの通帳から先の旅行代やお小遣いなどおおよそ500万円ものお金が姉親子に渡っていたのである。
認知症の介護ははたから見るより大変なものである。
介護者は、自分だけで抱え込まないように、フォーマルなサービスだけでなく、インフォーマルなサービスも活用しながら認知症と向き合って欲しいものである。