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老々介護ー老夫婦の現実②

老々介護ー老夫婦の現実② えっちゃんのブログ
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在宅介護支援センターの電話が鳴った。
「もしもし・・・えっちゃんですか?」涙声の女性の声だった。
「山下(仮名)と申します。会ってご相談したいことが御座います。お時間を取っていただけないでしょうか?」

とても上品な奥様だったので印象に残っており、翌日にお会いする約束をして電話を切った。
相談者は山下節子さん80歳(仮名)夫のことで相談したいという。
数日前、独居老人や高齢者世帯の実態調査に各家庭を回っていた時に出会った女性だった。

実態調査の情報では、夫は元教員84歳。50歳で中学校の校長となり勤務していたが、定年が近づいた年度末、歩き初めの足が上手く出ない、手が震える、呂律が回らない等の「運動失調」の症状が現れ、検査の結果、脊髄小脳変性症と診断されました。

退職後に嘱託で勤務する予定だったところも症状の悪化で行けなくなり、退職後は病院以外外出することもなく、自宅に閉じこもる生活となったと言います。

脊髄小脳変性症で閉じこもる老人

通院するも徐々に症状が悪化。起き上がるときや、歩き時にふらつく、手指の振戦があり、箸が上手く使えないようになり、字も書けなくなってきたと言います。

介護者である節子さんの健康状態は、腰痛などなあるものの、大きな病気や既往歴もなく、日々、夫の介護で明け暮れる生活を送っている。また、二人の間には、娘が一人いるが、東京の大学を卒業後、結婚して東京に嫁いでおり、介護の協力は得られないとのこと。

実態調査訪問だったので、現状把握と、医療福祉サービスについて説明するだけでその日は終わっていたのです。

そして、節子さんとの相談日。夫はデイケアに出掛けて留守だった。
「助けてください!」開口一番、節子さんの口から出た言葉だった。同時に、ボロボロを涙が頬を伝いこぼれ落ちてきたのです。

しばらくして、落ち着きを取り戻すと、節子さんは今までの夫婦生活について、ぽつりぽつりと話し始めました。

「私は下女(げじょ:召し使いの女性のこと)なんです。結婚してからというもの、私は主人の下女。妻としての扱いは一度も受けたことがありません。
在職中も、三つ指付いて送り出し、三つ指付いて出迎える。「めし!」、「風呂!」、「新聞!」、「お茶!」・・・これだけで事が足りるんです。そんな夫婦生活でした。

威張る夫

嫁にきて、舅、姑に仕え、一時も気の休まるときはありませんでした。
舅、姑が亡くなってからも、主人は殿様。私は下女。下女なんです。
主人が出張で留守になるときが、私の唯一の休養日だったのに・・・。しかも、旅行すら連れて行ってもらったことがないんです。実家に帰してもらうことも許されませんでした。
そして、退職後は主人の介護生活がスタートしました。年々、身体状況も悪化し、最近は刻み食を作り食べさせています。
一日中、主人の世話で明け暮れて・・・もう疲れました。死にたいです・・・。」

節子さんに、どうしたいのか尋ねました。
主人を老人ホームに入れたいんです。主人と離れて暮らしたい。

数か月後、節子さんの夫は老人ホームに入所しました。
入所後、節子さんと娘さんの面会は一度もありませんでした。節子さんが夫と面会したのは亡くなられた後でした。

人は人生が幸せだったかどうかは、人生の終焉を迎えるときに分かるのかもしれない。

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