えっちゃんのブログ

Quality of Life

Quality of Life えっちゃんのブログ
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最近、友人から、親の終末期に付いての相談を多く受けるようになってきた。
みんな、「そんな歳になってきたねぇ~・・・」と笑いながら話すが、実際、両親の介護の問題を抱えるようになってくると笑ってはいられない。

先日、ごく親しい同級生から電話があり、父親が誤嚥性肺炎で入院し、胃瘻(胃ろう)を増設して延命措置をするか、看取りにするか悩んでいるという。

私は、「自分だったらどうしたい?」と尋ねたら、彼女は、「看取りかな・・・」と答えたので、「それで正解じゃないの!」と答えた。
彼女は、「でもね・・・病院の先生に胃ろうか看取りかの二者選択のような聞き方されて、直ぐに看取りでお願いしますなんて言えないし、命を軽視するようで、とても辛い選択だわ!」と話していた。

胃ろうをした老人

胃ろうは、口から栄養を摂取できない高齢者に対して最も普及した延命措置とされおり、これは、消化器から栄養を摂取する経腸栄養法であり、手術で胃に穴を開けて直接管を取り付け、流動食を入れる処置です。
胃ろうは、元々、アメリカの小児外科医が開発したもので、神経疾患などのために摂食・嚥下困難な子供達が開腹術による胃ろう造設で合併症に苦しんでいるのを見て何らかの改善が必要と考え、胃カメラを応用する方法を思いつき、腹部の切開サイズを最小にし、縫合不要な手技によって胃ろうを造設する方法を考案したものです。

胃ろうを造設する方法は、開腹術で胃ろうを造設する場合に比べて、患者の身体的負担を大幅に低減することはいうまでもない。手術室や高額な機器は不要であり、入院期間を短縮でき、中心静脈栄養法よりも格段に低いコストで管理可能なのです。

また、人工的水分・栄養補給法として最も一般的であった経鼻経管栄養法と比べて患者への身体的負担が少なく、患者の日常的な不快感も大幅に低減したのも事実でした。また、免疫に関する近年の研究知見によって腸管免疫系の役割の重要性が知られるようになったことで、静脈栄養法に対する胃ろう栄養法の優位性は揺るぎないものとなったのです。

こうした多くの利点を背景に、胃ろう栄養法は、1980年代から、まず開発元の米国で汎用されるようになり、日本では 1990年代から徐々に施行され、2000年代に入って急速に普及していきました。

日本では 2000年代の最初の 10年間で目覚ましく市場が拡大しました。
市場拡大の背景には、診療報酬改定も影響していたとみられます。

胃ろう増設の手技料の保険点数は 1999年度までは6,400点であったのが、2000年度から 7,570点に、2002年度からは 9,460点にと急上昇したために、医療機関の経営上の利点も認められた結果だと思われます。

しかし、諸外国では、日本のように人工栄養で延命され、寝たきりになっている高齢者はいません。
殆どの諸外国では、点滴や経管栄養を行わず、自然な看取りをします。

諸外国のQOLは

過去にブログにも書きましたが、私の父もそうして亡くなりましたが、亡くなる数日前まで話すことができて、穏やかな最期でした。
諸外国では、終末期高齢者に濃厚医療を行わない最も大きな理由には、QOL(Quality of Life)を重視した人生観が形成されているためだと思います。
QOLとは、「生活の質」や「人生の質」と訳されます。

また、終末期高齢者に人工栄養を行うのは、非倫理的(老人虐待)という考えもあります。

日本のように病状に応じて、施設や病院を転々とすることはありません。たとえ入院しても、短期間で施設に戻ってきます。

無理な食事介助を行わず、食べられなくなっても人工栄養を行わないので、短期間で亡くなり寝たきりになりません。そのため、誤嚥性肺炎の発症も少ないのです。たとえ肺炎になっても入院することはなく、訪問診療の医師から内服薬が処方されるのみです。このような点では、日本にいれば助かる命も、諸外国では亡くなっている可能性があるかもしれません。

諸外国において胃ろうは、喉や食道の病気のために口から食事をとる事ができなくなった小児や成人に「これから」を生きていくために施されているのに対し、日本では「終末期」の患者に延命措置として胃ろうを施しており、日本と諸外国の間ではこういったギャップが生じているのが現状です。

認知症が進行すれば、食べ物を認識できなくなり、食べ方もわからなくなります。そのような状態の高齢者に胃ろうを造設すれば、ほとんどの場合、おむつをつけた状態で余生を過ごすことになるのです。人がどのような終末期を過ごすかは人生観の問題でもあり、一概には言えませんが、このような状況で延命を希望する人は必ずしも多くおられないように思います。

私は、多くの高齢者が胃ろうを増設して、寝たきりとなり生かされている医療機関を多く見て来ましたが、そこには、人としての尊厳がなっかたように思います。

胃ろう造設にとどまらず、中心静脈栄養や経鼻栄養、人工呼吸器による延命治療の諾否を多くの人が決定できるという状況にはまだ程遠い状況です。

事前に延命措置が不要と表明すべきか

最近、施設においても、終末期医療に関する事前指示書 を作成して置かれる方がおられます。
仮に、自然な看取りを希望するのであれば、「食事や水分を口から十分摂取できなくなった時は、口から食べることを大切にした自然な看取りをしてください」といった記載をしておけば、病院や施設が中心静脈栄養や経鼻栄養などの延命を目的とした栄養補給を行う必要もなくなるのではないでしょうか。

希望する終末期ケアを受ける最良の方法は、精神状態が健全な時に家族や医療者にどのような終末期ケアを希望するのか、事前に意思表示することが大切だと思います。
自分自身で、延命治療を希望しない旨の「終末期医療に関する事前指示書」を作成していれば、病気が不治であり回復不可能となった場合、延命治療を中止し、苦痛緩和の医療と介護で自然な看取りが可能になるのです。

これは選択をせざるを得ない家族の為にも残すべきだと思います。
本人の意思を確認することができない状態になったとき、『延命』もしくは『看取り』どちらかの選択を委ねられた家族は、どちらを選択したとしても苦しむものです。
その為には本人が元気なうちに意思表示を残される家族にしておく必要性があります。

医療、福祉業界の方はQOLという言葉を良く使います。先ほども書きましたが、QOLとは、「生活の質」や「人生の質」と訳されます。
「人生」とは、「誕生」から「死」までの期間を言います。
QOLは、本人が決めるものであって他人が決めるものではないはずです。だからこそ、自分の終末期ケアのあり方を自分で決めることが重要ではないでしょうか。

現在、少なくない高齢者が希望しない延命治療を受けている背景には、終末期を医療機関で過ごしていることと関係があると思います。

結果、高齢者医療が増える原因にもなっているのではないでしょうか。

高齢者が終末期を過ごす場所を、医療機関に限らず、介護施設や高齢者住宅に広げて、個々の高齢者のQOLの拡大を願いたいものです。

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