特別養護老人ホームの面会室に介護職員に車いすに乗せられて入室してきたのは、沢井とめさん(85歳 仮名)でした。
面会室のドアを開けるや否や叫び声が聞こえてきました。
「誰や!お前は!何しに来たんや!」
「帰れ!死ね!」
暴言が続きます。
近くにいた職員が何事かと集まり、不穏状態となり面会が難しいと判断した介護職員はとめさんを居室へと連れて行きました。
面会者は、たった一人の娘さんである河合聡子さん(55歳:仮名)でした。
とめさんと娘さんが会ったのは5年ぶり。
とめさんが特別養護老人ホームへ入所して以来の面会でした。
施設では、預かり金の明細(収支報告書)と一緒に施設で発行している広報誌や施設行事の案内などの文書を定期的にお送りいたしますが、娘さんからの連絡は一度もなく、施設と身元引受人間で交わす契約書や重要事項説明書なども郵送でやり取りをしていました。
とめさんは、入所前は在宅で暮らしていましたが、レビー小体型認知症、パーキンソン症候群と診断され、在宅での生活が困難になり入所に至りました。
入所時に身元引受人がなかなか見つからず、やっとで探し出したのが一人娘の聡子さんでした。
聡子さんは、当初、母ではないからと、身元引受人を拒否していましたが、幾度もの面談を重ねた後、泣く泣く引き受けてくれたのです。
聡子さんを面接室に招き入れ、とめさんの日頃の様子などを話し始めると、「母の話は聞きたくありません。」と言われてしまいました。
そして、「母は私より元気で、私の方が先に逝っちゃいますね・・・。」というのです。
聡子さんは、見るからにやせ細り、身に着けている衣類も靴もみすぼらしい感じでした。
何かお手伝い出来ることはありますか?と尋ねると、自分の身の上話をポツポツと話し始めました。
とめさんは未婚の母です。
料亭の仲居さんをしている時に、お客さんとして来ていた男性(北田聡さん:仮名)と知り合い聡子さんを身ごもります。
北田さんは、妻子がいたため認知はしてくれませんでしたが、自分の名前から一字を取り、「聡子」と名付けてくれたと言います。
聡子さんが生まれて2年くらいは、北田さんの訪問があり、生活費の面倒も見てくれていたらしいのですが、物心付いた頃から聡子さんには父である北田さんの記憶はなかったと言います。
幼少期は、保育園等に行った記憶もなく、ただただ家の中で過ごし、深夜に帰ってくる母を待っていたと言います。
毎日夕方に出掛け、深夜に帰宅しては、お昼過ぎまで寝ているのがとめさんの日課です。
完全に育児放棄=ネグレクトです。
聡子さんが小学校に上がってもその状態は続き、朝帰りも頻繁にあったと言います。
朝食は殆ど食べたことがなく、学校給食で空腹を満たし、夕食は、母が出勤前に食べたであろう食べ残しの食べ物が殆どで、時々、近所のパン屋さんでパンの耳をもらっては食べていたと言います。
小学校に上がるころには、家事の殆どを任され、洗濯や掃除がなされていないと、とめさんから殴る蹴るの暴力を受けた来たと言います。
こういった暴力もネグレクト(児童虐待)です。
小学校、中学校と友達は出来ず、中学校も殆ど登校しなかったと言います。
聡子さんが中学の時、とめさんが彼氏を家に連れて来るようになった言います。
ある時、とめさんの彼氏は、聡子さんに三万円を渡し、「もう帰って来るな!」といって追い出したと言います。
聡子さんは、「母親が私を捨てた瞬間だと悟った。」と言います。
そして、住み込みで年齢を偽って風俗の世界に身をゆだねるしかなかったと言います。
聡子さん18歳の時、お店で知り合った男性(河合正人さん:仮名)との間に子供を身ごもり結婚しました。
聡子さんは女の子出産し、とめさんに結婚と出産の報告のため3年ぶりにとめさんを訪ねました。
とめさんは聡子さんと子供を見るなり「誰や?何しに来たんや?金なんか無いぞ!」と言いました。
それから30年・・・とめさんと聡子さんは会うことはありませんでした。
聡子さんの結婚生活も長続きせず、5年で結婚生活はピリオドとなり、娘は河合さんが引き取りました。
十分な教育を受けないで育ってきた聡子さんには、働く場所もなく、スーパーの清掃をしながら生活してきました。
まともな職に就けず、30年もの間その日暮らしの生活だったと言います。
そんな時、福祉事務所から母の件で・・・と話があり、とめさんと30年ぶりに逢うことになったのです。
その年の12月、聡子さんが私を訪ねて来ました。
手には、施設から発送した預かり金の明細があります。
聡子さんは言い出しにくそうに、「母のお金を出せますか?」と聞いてきました。
私は出金理由を尋ねました。
聡子さんは自分の年金が無いことを話し始め、5年間遡って年金を納めたら年金が受給できるから、母の預かり金から都合を付けてもらえないかということでした。
私は、預かり金引き出し書に100万円の出金と理由を記入し、手続きをしました。
翌日、聡子さんは100万円を受け取り年金事務所へ手続きに行きました。
その後、聡子さんは何度か施設に来られましたが、とめさんが不穏になるからと面会はしないで帰られました。
聡子さんが、とめさんと面会したのは、それから8年後、とめさんが施設で息を引き取るときでした。
聡子さんは、あのままだと生活保護を受給出来たのかもしれません。
現行の制度ですと、年金収入より生活保護費の方が多いですから・・・。
最低生活費は、地域や年齢によって異なりますが、70歳以上、東京23区在住で賃貸に一人暮らしの場合、約7万4000円の生活費と、約5万4000円の住宅費、合わせて約12万8000円です。
年金暮らしであれば、この最低生活費に届かない分を生活保護としてもらえるます。
年金が月約6万円なら、不足する約6万8千円を生活保護として受給できるのです。
国民年金は、満額受給しても約6万5千円です。
働くことが難しくなれば、年金だけでは最低生活費に収入が届きません。
ならば生活保護を賢く利用したほうがいいのかもしれません。