特別養護老人ホームの一室で、深川トリさん(仮名:94歳)が息を引き取ろうとしていました。
下顎呼吸から鼻翼呼吸となり、そろそろご家族に連絡した方が良い段階にきたのでしょう。
私は、トリさんのご家族に電話連絡を入れるよう指示しました。
おはようございます。○○苑です。トリさんの事でご連絡致しました
死んだんか!?
いえ、ただ、呼吸状態がかなり悪くなり、今日一日はもたないと思いますので、会わせたいお方がおいでになられましたら・・・と思いまして・・・
あのくそばばぁ!まだ死んどらんのか!憎まれっ子世にはばかるやな!
死んでから連絡してくれたらいいって言っとたはずやけどな!
死んだら火葬場に連れて行ってもらえんやろか!骨もいらんしな!
亡くなられた方を搬送する事は施設の車では出来ませんし、死亡診断書を市役所に提出して火葬証明書を頂くことになります。
葬儀屋に迎えにいってもらえばいいんか?
分かった。死んだら行かせるわ!
電話を切ると同時に看護師が「トリさんが亡くなられました」と報告に来ました。
再度、ご家族の方に電話連絡をしました。
トリさんが9時10分に息を引き取られました。
どなたか、施設においで頂けますか?
分かった。葬儀屋に行かせるわ!
と言うと電話を切られてしまいました。
一時間経っても、二時間経っても何の連絡がありません。
再度、電話連絡するも電話がつながらなくなっていました。
施設では、看護師と介護職員で死後の処置をしています。
お昼過ぎ、やっと、息子の嫁という方から連絡があり、
夕方になりますが、葬儀屋さんに施設へ行ってもらいます。死亡診断書と一緒に渡してください。
と言われました。
4時過ぎ、とりさんは葬儀屋さんのお迎えの車で施設を後にしました。
トリさんは密葬で、葬儀屋さんに一晩安置し、そのまま火葬されるとのことでした。
落ち着いたら預かり金等の引き渡しがあるのでおいで頂きたいとお願いしました。
トリさんは、老人病院から特別養護老人ホームへと入所になり14年が経過していました。
入所時は、病院の車で搬送され、お嫁さんが手続きに来られました。
息子さんも一緒に来ていたようですが、施設の中に入ることなく、車の中で待っておいででした。
寒い日だったので、施設の中においで頂くようお声がけをしたのですが、入られることはありませんでした。
施設の契約書、重要事項説明書等の書類の殆どのやりとりは息子さんのお嫁さんと通して行いました。
入所して一年ほど経ったころに、一度だけ息子さんのお嫁さんとお話をする機会があり、トリさんと息子さんの関係を伺ったことがありました。
「トリさんが息子を捨てたんです。何度も、何度も・・・母親を必要とするときに母親がいなかった。乳児院から養護施設へ移り、小学生高学年の頃にトリさんに引き取られたと言います。
ところが、主人が高校生になる頃に、またトリさんは、息子をおいて失踪してしまったのです。主人は中学を卒業すると働き始め、高校は夜間に通ったのです。
私が主人と結婚するときは、養護施設で育ったので両親はいないと言われていましたから・・・。それが、突然市役所から連絡があって・・・引き取るよう言われたのですから・・・あのようになるのも無理はないと思います。
私がこうしてトリさんのために動くことも本当は嫌でたまらないのですが、それでは施設にご迷惑がかかるので・・・」と言われたのです。
トリさんと息子さんは、施設に入所中に会うことは一切ありませんでした。
時間が解決することも多くありますが、母親から何度も裏切られた息子さんは母への憎しみしかありませんでした。
どうにかして、トリさんが亡くなるときには親子関係が修復できるようにと、施設のトリさんお様子をお便りでお伝えしたり、施設職員に愛されている様子の写真をお送りしたりと様々なアプローチしましたが、叶うことなくトリさんは亡くなられてしまいました。
息子さんとの面会は叶いませんでしたが、トリさんの施設での生活は幸せだったと願いたいです。