村上朝一さん(仮名)は、特別養護老人ホームの一室で静かに息を引き取りました。享年92歳。
姪である和子さんと施設の職員に看取られて、穏やかな最期でした。
居室には、朝一さんの編んだ草鞋や蓑が置かれていました。
これは朝一さんが足の指に挟んで器用に編んだものでした。
朝一さんは、6人兄弟姉妹の3男として出生し、尋常小学校を卒業し、両親と一緒に農業に携わる中、太平洋戦争で二人の兄を失い、朝一さんにも徴収令状が来て戦地へいったが、終戦後自宅に戻ったという。両親は農業に従事させようとするが、幻覚や妄想などの症状が出てきたため、一部屋に閉じ込めて、世話をしていたという。
数年が経過し、突然大きな声を出して暴れたり、壁に向かって怒り出したり手が負えなくなって病院に入院となったという。
朝一さん21歳の時でした。
私が朝一さんと出会ったのは、朝一さんが80歳ごろ、精神科病院の面会室の一室です。
特別養護老人ホームへ入所するための事前面談のためでした。
面会室で待っていると、男性看護師さんに付き添われて、やってきたのが朝一さんでした。
腰が曲がり、ちょっと斜めに傾きながらびっこを引き歩く姿は、どこにでもいる可愛いおじいちゃんでした。
「こんにちは!」と声を掛けると、どなたさんやったかな?と顔を上げ、私の顔をじっと眺め、「わしの知らん人やな・・・。」と言われました。
その後、朝一さんは特別養護老人ホームに入所し、施設の住民になりました。
ある日、朝一さんに年老いた老人が面会に来ました。
朝一さんを入院当初から主治医である荒井先生でした。
荒井先生と朝一さんは一年ぶりにあったのですが、朝一さんの嬉しそうな笑顔は、先生と朝一さんの信頼関係を物語っていました。
荒井先生は、定年退職するまで朝一さんを診てきたと言います。
荒井先生は朝一さんの主治医でありながら、朝一さんの友人でもあったのかもしれないと言いました。
朝一さんに出会い、朝一さんを通して、統合失調症を学び研究し続けた50年だったと言われました。
退職後も荒井先生と朝一さんの付き合いは続き、今回、施設に移ったというので面会に来られたと言います。
朝一さんは、21歳から80歳になるまでの59年間を精神病院で過ごしました。
今でこそ統合失調症は、コントロール次第では寛解できる病気となってきましたが、朝一さんの入院当初は、手が付けられない程、妄想や幻覚が激しく、他者にも暴力を振るうため、病院での治療が大変だったと言います。
当時、入院食後は、効果的な治療もなく、約20年間は個室に閉じ込め、時々、散歩などに出かけたりするような入院生活だったとの事でした。
荒井先生が最後に、「こんな穏やかな朝一さんを見たことがありません。きっとこの施設の環境と対応が朝一さんにとって良かったんだと思います。」と言われました。
これは私共にとって最高の褒め言葉と感じました。
特別養護老人ホームに入所後の朝一さんは、相撲が好きで相撲始まるとテレビに嚙り付きながら観戦していました。
暇なときは、草鞋や蓑を編み、職員を喜ばせていました。
また、ボランティアによる観劇も楽しみの一つとされていました。
長年会うこともなかった姪との面会も果たせ、特別養護老人ホームでの12年は幸せだったと思います。
近年、心の病気についても出来るだけ早くその症状に気づき、正しい対処や治療が速やかになされれば、回復も早く軽症で済むことが分かってきました。
統合失調症などの病気を発症してから最初の2~3年の状態は、その後の長期的な経過に影響を与えることも分かってきました。
どんな病気でも、早期発見、早期治療が大切です。
朝一さんのような長期入院者がなくなるよう願いたいものです。