こずえさん(仮名)との出会い
こずえさんは、地元では有名な企業の社長さんの後妻として田中家(仮名)に嫁ぎました。当時、田中さんには先妻との間に3人の子供(10歳、7歳、4歳の女の子)があり、子供の世話をさせる為に嫁いだようなものだったと言います。
こずえさんは、元々この会社の事務員として勤務し、子供達とも面識があり、先妻が精神疾患(統合失調症)入退院を繰り返していた為、入院中は妻に代わってよく面倒を見ていたといいます。
ある日突然、妻が入水自殺を図り、こずえさんが子供たちの面倒を見ることになりました。
子供達も、こずえさんを慕い、徐々に母親として受け入れていったといいます。
その後、会社は急成長し、住み込みのお手伝いさんも雇えるようになり、こずえさんの生活も一変します。
丁度その頃、高校生になった長女に奇行がみられ、幻覚、幻聴など先妻と同じような症状が出現し、診断の結果、実母と同じ統合失調症と診断されました。その後も、長女は入退院を繰り返すようになり、高校は退学、家業を手伝うようになります。
しかし、二十歳になったとき、実母と同じように自宅療養中に入水自殺を図り亡くなります。
その時、次女は高校生、三女は中学生でした。
次女は、地元の高校を卒業すると、遠方の大学に進学し、在学中は実家に帰ることも殆どなかったと言います。
三女は高校生になっていました。高校生活を送る中で、三女にも長女と同じような症状が現れました。
こずえさんは、小さい頃から面倒を見てきた三女を一番可愛がったと言います。
そんな思いもあって三女だけは実母や姉のようにはしたくないと、専門的な病院を探し治療に明け暮れます。
さらに不幸は続きます。会社も安定していたある日突然、元気だった夫が心筋梗塞で急死したのです。
次女が大学4年生の冬、三女は精神科に入院中の出来事でした。
次女は、遺産として、こずえさんからまとまったお金をもらうと、大学卒業と同時に田中家と縁を切ると言って家を出て行きました。
こずえさんは、夫の死後、会社を受け継ぐ事になりましたが、会社は、夫の右腕だった人を社長として、こずえさんは役員として会社に残り報酬を得る形になりました。また、家のことや三女の世話などは、一番信頼できる仲本さん(仮名)に任せるようになっていました。
そして、30年後、こずえさんも70歳を過ぎ、腎不全、パーキンソンを発症します。仕事はほとんど社員に任せ、こずえさん自身も入退院を繰り返すようになり、要介護状態となってきました。三女も在宅生活は難しく、精神科病棟に長期入院の状況でした。
こずえさんは、自分自身と三女の世話を仲本さんに頼むために、病院へ通うための新車を買い与えたり、自宅の管理のために仲本さんを自宅に住まわせました。通帳も実印も仲本さんに預け、自宅金庫の暗証番号も仲本さんだけには教えてあったといいます。仲本さんのことは信用しきっていました。
突然、市役所から入所相談があり、入所させて頂きたい人が人がいますと連絡が入りました。
財産が全てなくなった入院中のこずえさんでした。
会社は、倒産寸前で、定期的に入っていた役員報酬もこずえさんの入院費以外は家政婦の仲本さんに渡っていました。
こずえさんの財産は少しずつ少しずつ仲本さんが使っていたのです。
仲本さんはこずえさんから得た高額な報酬でこずえさんの財産を自分のものにしていたのです。
気が付けばこずえさんの自宅は仲本さんの娘家族が住み着いている始末。
こうしてこずえさんは施設の住民になりました。
市役所が次女の行方を探し出しましたが、次女はからの回答は、とうの昔に縁を切ってあります。私には母も妹もいませんとのことでした。
家政婦の仲本さんを訴えようと弁護士に相談をしてみたものの資金的に難しいのと法的に訴えられないように上手に持っていかれていたとのことで泣き寝入りとなってしまいました。
お金の管理はしっかりと考えて行うようにしないといけないと痛感した出来事でした。